ごきげんよう

一年中ふとんが恋しい

「音楽」と「世界」

ごきげんよう、こんばんは。
本当に書きたいことを書きたいときに書くスタイルが確立しつつある(物は言いよう)。

 

さて、今回筆をとったのは他でもない、担当のソロ曲の試聴について思ったことを覚え書きするためです。Twitterで発散したのだけど、流れてしまうのが少しさみしいなと思い、そういえばそんなときのためにここのブログ作ったっけ、って思い出した。

今回お話する「担当」とは、SideMの担当のことである。
315プロダクションに入社し、現在わたしはWとAltessimoの担当Pをさせていただいています。まだまだ新人へっぽこPながら、先日の浅草絢爛歌謡祭では無事上位入賞を果たし、念願の名前入りプロデュース実績称号をゲットしたぱかP。めちゃめちゃ嬉しかった。なんだかんだ都築さんとのご縁が一番多く恵まれたのもあって、担当の中でも思い入れが一番強いのが都築さんだったんです。これでやっと都築さんの担当Pだって胸を張って言えるな、と思った。

そしてセカンドライブ。縁あって1日目は現地に行くことが出来たのだけど、もう本当に、あの時あの場所で、Altessimoの初めての大舞台をこの目で見られたことは本当に幸せなことだったと思う。もちろんLVの2日目も315で、Wはすごくキラキラしてた。担当の2ユニットに限らず、315プロのみんなはすごく輝いていて、間違いなくわたしの人生で最も315な二日間だった。一週間以上経ってやっと少しずつ落ち着いてきたのだけど。まだ落ち着いてない時、彼らのさらなる活躍に思いを馳せている時(14日)に事件は起きた。

いやソロ試聴今来るか。今か。そうか北斗くんの誕生日か。

 

いやほんとに。セカライの余韻の中では破壊力マシマシすぎた。
セカライ前に来なかったのは「セカライでは歌わないよ宣言」であると同時に運営様のお慈悲であったに違いない。間違いなくこれセカライ前に来てたら生きて幕張から帰れなかった自信がある(?)。

 

というわけで本題。試聴を聞いて感じた徒然なること。

まず最初のチューニングのような音。そこまではよかった。そこから。
こんなに速い曲だとは思わなかった。今までずっと都築さんってまったりしたイメージがあったから、つい曲もゆったりしたテンポの曲だとばかり思っていて、まさかEchoes My Noteより速いこんな疾走感溢れる曲が来るとは本当に思っていなくて、まずめちゃくちゃびっくりした。中の人である土岐さんも仰っていたけれど、まさに「そう来たか~~~!!!」って感じ。
彼にとって世界はこんなにもドラマチックに見えていて聴こえていて、そのことを「音楽」を通して感じられたこと・気づけたことがすごく嬉しい。それってすごいことじゃない…?言ってしまえば彼らは二次元の住人で、直接会ったりはできない存在だ。作品世界のなかで、その作品の言葉を通して人となりが語られて、形作られていく。それが普通だと思っていたし、多分普通の作品なんだろうと思う。でも彼らはアイドルだから、歌をステージを通してこちらの世界に語りかけることができる。

彼にとっての世界をこうして音を通して感じられることに「都築圭はアイドルで表現者なんだ」と改めて痛感させられた。アイドルマスターってすごい。声優さんってすごい。

 

サビまではどこか哀愁漂うメロディが続く。音楽的にいうなら短調ってやつなんだろうな(ヤマハ音楽教室で学んだ知識はどこへ弾け飛んでしまったんだろう)。

これまたセカライ後に聞いたのが効いた(ギャグではない)のかもしれない、どちらかというと麗さんを見守る方にいることが多かったように思う都築さんだけれど、彼もまたすごく苦しんでいたわけだ。セカライでの「Opus」は本当に見ているこちらまで涙が止まらなくなるくらい苦しかった。そんな彼の苦しみが伝わってくるAメロ、Bメロ。

 

そしてサビ。浅草で明らかになったお父様や「(麗さんの言葉を借りると)親友」、そして「伝説の歌姫」との別れ。
自らの求める「音楽」を失ってしまった彼が「見つけた世界」。
それはきっとアイドルとして生きる道であり、315プロダクションで出会ったたくさんの人たちとの日々、そして神楽麗・Altessimoのことなんだろうなぁと。
それこそ今までの世界がReverse(Rebirthかもしれない)するほどの強烈な出会い…(ここで「Opus」最後の2人を思い返して泣き崩れるぱかP)

 

「日々湧き上がる音の泉を、僕はあといくつこの世界に留められるのかな。」

 テンポに関してに少し戻るけども、聞いていてこのフレーズを思い出した。まず彼の中にまた「留めたい」と思えるほどの音の泉が湧き上がってくるようになったということ、そしてそれをどれだけ留められるだろうという彼の不安と期待が曲の疾走感にも表れているように思う。

 

正直な話。麗さんのオリピがあってから、少し不安だった。「Opus」では「一人じゃ未完成な音楽」だった2人だけれど、麗さんは「My Note」をしっかりひとりでも奏でられるようになっていて。でもじゃあ都築さんはどうなんだろう、ってすごくすごく不安だったんです。仙台で麗さんが「都築さんは一緒じゃないのか…さ、寂しくなどない!」って言ってくれることにどこか安心していたし、「やっぱり2人のAltessimoが好きだから」って言い訳して逃げていたのだけれど、すごく失礼な話だった。都築圭はとっくに、神楽麗と出会ったときに新しい世界を見つけていたんだね。

もちろん出会った時点ではまだ未完成ではあったんだろうけど、でもそこから彼の、彼らの「音楽」はまた鳴り始めた。そして今回のオリピでそれぞれがまた「自分の音楽」を取り戻して、奏でられるようになった。もう彼らはひとりでも立派なアイドルで表現者だ。でも2人でならもっと高みに行ける。これがAltessimoの形なんだ。そんなことにまで気づかせてもらえたソロだった。本当に都築さんにソロ曲をありがとうございます。世界に感謝したい。まぁまだハーフサイズなんだけどね。発売4月なんだけどね。待てない。

そんなことを言っている間に今週末には空くんと昂輝のソロが出てしまうし、明日からアスタリアイベだ。心と体力が果たしてもつのか…次回作にご期待ください。

 

多分恐らくフルが出たらまた何かしら言及するかもしれない…?前回から触れたかった具体と抽象の話はまた何かしらの機会に…とりあえず明日からのイベントの準備してきます、待ってろ悠介!ちゃお!

「君」という言葉

ごきげんよう、こんばんは。

本当にブログが不得手なのがバレる。継続して何か文章を書くことがこんなにも苦手だとは…。本当はCORONAの発売のときに途中まで記事を書いていたのだけど、結局着地点がわからず非公開のまま数ヶ月熟成させてしまった結果、月編が発売しました。

 

というわけで、
Growth「CORONA」「月影のリフレイン」発売おめでとうございます!

 

~ここから、前したためていた文そのまま~
フォロワーさんが「ぐろーすに宇宙旅行に誘われてそのまま星になって風に吹かれるCDです」と仰っていたのですが、なかなか的を射ているのでは…という感じの疾走感溢れる一曲でした。
~ここまで~

そんなこんなで月影のリフレインも発売されましたね。ついに花鳥風月シリーズ完結。おめでとうございます!!!!
年明けには新しいソロのシリーズも待っているとのことで、まだまだ期待させてくれるGrowthよ…これからも応援してますね。
さて前述の通りCORONAのときにも記事にしようとしていたのだけど、ここ最近Growthを聞いていると思うことがある。

「Growthの歌う『君』とはいったい誰のことなんだろう」。

そんなもん曲によって違って当たり前じゃろ!というツッコミが入るのはわかるし自分でも入れた。けれど、「命は流れ(FLOW AWAY) 彼方に羽ばたいて(不死鳥のネビュラ) 光と踊り(CORONA) やがて帰り着いた(月影のリフレイン)」と四曲は何かしらで繋がっているはず、この花鳥風月シリーズはただ自然の美しさを歌っただけなのだろうか。

 

まずは花から考えてみる。
「FLOW  AWAY」を聞いたときには「君」はアーティストの歌における二人称、というありきたりな受け取り方しかできなかった。一般的な楽曲で歌われる、一般的な「君」の使われ方だ。一応は彼らはアイドルなので、そこでいう「君」はファンにあたるんだろうか?「不特定多数のこの曲を聞いてくれているあなた」をさす言葉であるように思えた。
またはこの曲をひとつの物語としたとき、Growth(なんだろうか、この曲には一人称がない)から見た相手となる人のことをさして「君」が使われているのであって、特定の誰かをさす言葉ではないのだろうな、というのが花を聞いたときの感想だった。

 

続いて鳥。
と思ったけれど、この曲には「君」という言葉は出てこない。タイトルにも出てくる不死鳥をテーマにした物語のような一曲に仕上がっている。だからだろうか、ここまではGrowthの歌う「君」はいわゆるポップスの「君」と同義だろうと思って聞いていたのだ。

 

君がそばにいることで 僕らが 今 解り合える 心の音は

呟くような  小さな波で 結んだ指 繋いだメロディ

何も残らなくたっていいから

ただ 君と声を重ね 歌うよ

この光景を抱きしめていたい

どこにいても 信じ合いたい

今回このCORONAでは、というか特にここのCメロの歌詞を見ていると、聴いている人であると同時にグループのメンバーのことなんじゃないか?って使い方が多かったように思う。もちろん聞いているファンのことだろうとも思ったし思うのだけれど、「聞いている人もGrowthを作り上げる粒子(※二番Aメロ剣介パートから)のひとつである」「そしてメンバー自身がGrowthをだいすきで、誰よりも衛の作る歌のファンである」ということでもあるのかなぁ、とか考えていた。~CORONAの歌詞引用からここまで月発売前の文章~

つまりはここから「君」は聞き手をさす言葉から、曲の作り手である衛がメンバーにあてた言葉でもあるのではないか、という捉え方が生まれてきたのではないか、と推測する。

世界が滅びても 君を探すから

魂に いつまでも 愛は輝いて

ルナ 明日へ さあ 讃えよう

 そして月だ。月が発売されてからというもの、友人との感想を言い合う会(不定期開催)では「衛はかぐや姫なのではないか???」というフレーズが何度も何度も繰り返し出てきた。もう「か」って打ったらかぐや姫が予測変換の一番最初に出てくるくらいには、一生分くらいかぐや姫って言葉を使った。

CORONAでは「ファンはもちろん、メンバーを含むGrowthというグループを見守っていてくれる存在」のことだと(個人的に)感じていた「君」は、月影のリフレインではよりキャラクターに寄り添った言葉になったように思う。特典の缶バッジも月は衛だし、試聴版のMVもどこか物悲しいピアノソロから、儚げな衛のイラストと共に「最期に見えた月夜に 誓いを立てた 引き裂かれても フィリアは君のほうへ」と始まり、いろんな人が言っていたけれど「衛がどこかにいなくなってしまうのではないか?」という雰囲気に溢れていた。
でもフルを聞けばそんなことはなくて、最初のフレーズもネガティブな言葉ではなくて未来に託す願いだ、ということはわかる…(捉え方によってはむしろ悲劇なのかもしれないが)。

 

同じ言葉がこんなに違って聴こえるってすごい。でもこれ、逆に月が発売された今なら「FLOW AWAYにおける『君』もまた、衛がメンバーにあてた言葉なのかもしれない」と見ることも出来るし、逆に月の「君」だって聞き手をさす「君」ととることだってできる。さて、だんだん着地点がわからなくなってきた。

個人的に(って改めて言うまでもなくこの記事の内容はすべて個人の主観に基づいて書かれているが)この花鳥風月シリーズは、花から鳥、風、月へと巡ってまた花に戻る、巡り続ける物語なのかなあと思っている。特典の衛の言葉を借りると「旅の仕方」が四曲それぞれで違って、一人称も二人称も違ってしかるべきなのかもしれない。自分でツッコミ入れた時点で気づくべきだったんだろうけれど、これ考えたところで考えるな感じろっていうのが正解だわ。ここまで必死に考えてきたことはなんだったんだ。考察とかそんなもんではなくただの感想文ですが、眠らせておくのもなんか寂しかったのでしれっとあげておく。
そんなわけで次回、具体と抽象の話。続くかもしれないし続かないかもしれない。

恥ずかしくなったらまた非公開にするか、何かしら書き足すかもしれない。ちゃお。

思い出とこれから

 

ごきげんよう、こんばんは。
気づけば8月ももう半ばにさしかかっているという事実に震え上がっている今日この頃です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

せっかくブログを作ったことだし何か書きたいなぁ、と思う反面、ワーッとまとまった文章を書くのがとても苦手(前回の記事も後半にさしかかるにつれどんどん雑な文になっている、本当に雑)なので、筆がノッてる時じゃないとなかなかまとまりのある文章にならない。それから、個人的に「まだあまり詳しくないもの」「好きになって日の浅いもの」について自分ごときが語るのは少し気が引けてしまって、あまり積極的にはしないのだけど、それでもいろいろと思うところがあったのでひとつ、筆をとってみようと思う。

今日考えたこと、それは「声優とアイドルとユニットのありかた」という話です。

 

今朝、とある国民的アイドルグループの解散が発表されたそうで。昨日コミケに参加していたわたしは三度寝からの朝寝坊をかまし、後からニュースやらなんやらで見かけて知った。昨晩からなんとなく話題になっていた気がするのだけど、正直眠くてあまり覚えていない。
別に名前を伏せることもないのだけど、わたしは彼らに関して、本当に「国民的アイドルグループ」という程度の知識しかない。よくメディアに出てくるマルチなアイドル。あまりアイドルに明るくないわたしでも存在と、メンバーひとりひとりのなんとなくのパーソナリティは知っている。そんな人たちだ。彼らについて話している人は、特に今日はたくさんいるだろうから、彼らの記事を探している人の検索候補には出てこないように、少し話題の違うここでは名前を出さないことにします。

さて、この「国民的アイドルグループの解散」ということなのだけど、本当にこれは国民的一大事なわけで、やはり彼らのもつ影響力というものは一国のメディアを揺るがすほどの絶大なものなわけだ。それだけのカリスマ的人気を持ち、様々なものを犠牲にしながら、様々なものと戦いながら、様々な人々に愛されてきた彼ら。たくさんの人に幸せを届けられる存在は、その実すごくたくさんの努力と苦労の上に成り立つものなのだなぁと思うと、本当に彼らはすごい人たちだったのだなぁ、と、一般人(?)のわたしでも思う。
これからは「彼ら」ではなく「彼」になる。この感覚が少しだけ、かつてわたしが大好きだった、そして今も大好きなユニットに似ている気がして、こんなことを書いている。

そのユニットは「G.Addict」という。(唐突)

 

G.Addict。ランティスという会社の創立10周年を記念してつくられた「グラール騎士団」という作品のメインキャラのキャスト4人、梶裕貴阿部敦寺島拓篤、堀江一眞のユニットだ。2009年の夏に発足し、2枚のシングル、ミニアルバムとアルバムを1枚ずつ発売。ランティスから歌を出している男性声優が出演するライブ、「Original Entertainment Paradise」略しておれパラにも二度参加。2011年には最初で最後の(本当は最後の、とつけたくはないのだけど)ワンマンライブ「Live Sign of Addiction'11」を品川ステラボールにて行った。
そのワンマンライブのDVD発売を最後に、解散することもなく事実上の活動停止となった、わたしにとって、人生で一番だいすきなユニットだ。

 

本当はこんな話、いますることではないと思っているし、他の「ユニット」「グループ」の解散をきっかけにまたこのことを思い出すなんて、正直あまり良いこととは思えない。
でも、これを機に今一度、自分の中の「彼ら」と向き合ってみたいと思った。思ってしまった。

音沙汰がなくなってもう5年が経つ。まだ5年、とはさすがにもう言えなくなった。もう5年。長いようであっという間だった。

 

きっかけはメンバーのうち3人を知っていて、興味が湧いたからだった。
最初に聞いたのは4人全員で歌っている最初の曲「signal」と、その一人だけ知らなかった人―結局その人がメンバーの中で一番好きになるのだけど―阿部敦さんのソロ曲「断罪のShadow」だった。
まず曲に惹かれた。そしてとにかく、4人の声と、性格と…ぜんぶ、バランスがよかった。あの4人だから、好きだった。
もともとは声優として、個人で活動している彼らだけれど、G.Addictとしてユニットをしている姿は、ひとりひとりが表現者としてだいすきだった。
全部過去形にしてしまうくせがすっかりついてしまったけれど、今ももちろんだいすきだ。彼らを追いかけた時間、彼らと共にあった時間は、これまでもこれからもわたしにとって宝物のような時間だ。きっともう、彼らを超えるユニットは現れないと真剣に今も思っているくらいには。

 

そんな彼らだが、DVDが発売されしばらくして(もっと前だったかもしれない)、メンバーの内の2人のソロでの歌手デビューが発表された。
もちろん嬉しかった。4人とも大好きだから。もちろん2人の歌も大好きだから。
でも彼らが事実上活動停止になってから、「G.Addictは2人のソロのための踏み台にされたんだ」と言っている人がいるのを見かけた。
未だにこれがどうしても忘れられなくて、すごく悔しかった。
なんであの4人のキラキラしてた時間にそんなことを言うんだろう。なんで喜べないのかな、って思ってしまった。
少なからず残りの2人は?って気持ちもわからなくはなかった(わたしの推しもそちら側でしたし)けど、でも踏み台なんて、そんな言い方。
あの4人じゃなきゃG.AddictはG.Addictにはならなかったと思うし、あの4人でいた時間があったから2人がソロデビューできたのだとしたら、それはとても嬉しいことじゃないか。

…でも、それからしばらく。おれパラのホストが代替わりをした。あの時はさすがに戸惑った。未だにあれから国技館には行けていないままだ。
わたしも大概、2人のソロデビューを受け止められていなかったのかもしれない。

「彼ら」はもう、「彼」になっていたのだ。

 

声優のユニットって、こういう可能性を常に孕んでいるものなのだと思う。あくまでもともとは個々がひとりの声優なのだから。
そのユニットが一番メインの仕事というわけではないのだから、プロジェクトの終了と共にいずれ解散なり、活動休止なりが待っている。今わたしがだいすきな、彼らに届く可能性すら秘めたGrowthだって、sideMの彼らだって。考えたくはないけれど、いずれ終わりは来る。
その「どう足掻いてもやってくる終わり」をどれだけ遠ざけられるのか。これがファンにできることなのかなぁ、とぼんやり考えている。もちろんそれでもどうしようもないこともあるのだけれど…でもやっぱりファンが待ち望んでいれば。そう信じて今日も推し事をしている次第。
それに、ユニットが解散しても、個々の彼らには会える。どんどん表現者として成長していく彼らひとりひとりには会える。いつかまた、彼らが顔を合わせたときに笑い合えるように。わたしたちの方も彼らとの時間を、たくさんの思い出、出会いを。大切にしていきたいなと、そう祈った。

 

余談だけども、先日フォロワーさんに誘われて寺島さんのワンマンに行った。
寺島さんのソロの舞台に行くのは初めてだった。すごくすごく緊張したし、受け入れられるかなって何度も思った。
でもそんな過去にしがみついていたわたしの不安なんて簡単に吹き飛ばしてしまうくらい素敵なステージだった。国際フォーラムのデカい「秘密基地」を、彼はひとりあれだけ沸かせるくらいになっていて。ステージを見つめる人の瞳はキラキラしていた。
彼は間違いなく大きくなっていたけれど、でもあの頃と同じ「寺島さん」だったのだ。

それを見てやっと何かふっきれた。ひとりでも彼らは立派な表現者で、それはあの時も今も変わらないし、もっと成長していくのだろう。

これからの4人のますますの活躍を、心から応援している次第であります。

 

途中から着地点が迷子になってしまって、どうしめればいいのかわからなくなってしまった。まとまったかしら。
またそのうち加筆訂正するかもしれない(言い訳)けど、今日はこのへんで。ちゃお。