ありがとう世界
温度差が激しくて体温調節がままならない今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ついに昨日、4月26日
THE IDOLM@STER SideM ORIGIN@L PIECES 04が発売されました。
今回はその中でも担当である都築圭さんの楽曲「Sanctuary World」のお話をします。
まだ聞いてない、ネタバレはごめんだという方はそっとブラウザバック推奨です。以下ネタバレしかないです。
THE IDOLM@STER SideM ORIGIN@L PIECES 04
- アーティスト: ゲーム・ミュージック,都築圭(土岐隼一),真崎エリカ,廣澤優也,藤井亮太
- 出版社/メーカー: ランティス
- 発売日: 2017/04/26
- メディア: CD
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(Amazonさんは配送が遅れている?らしいので、もし可能なら実店舗や他の通販をご利用いただいた方が早く到着するかもしれません)
さて、いくつか前の記事でもお話したとおり(音楽と世界)、わたしはWとAltessimoの担当Pをしています。その中でも特に都築さんとのご縁にたくさん恵まれたというのもあり、都築さんは担当4人の中でも特に思い入れのあるアイドルです。
まず試聴のときめちゃくちゃ驚かされました。オフショットSRみたいなふわっとしたイメージがどうしてもあって、楽曲もふわふわした、優しい春の陽射しみたいな曲だと思い込んでいたからです。試聴については詳しくは前述の記事でお話したので省きます。
試聴を聞き込んでいるうちに発売された声優グランプリでの土岐さんのコメントがまた衝撃的でした。
それだけに今回のソロ曲に対する期待と、同じくらい未知への恐怖みたいなものがあって。都築圭という人物の過去、現在、未来さえも描くこの「音楽」を、「世界」を、わたしは受け止めきれるだろうか…そんなことをぼんやりとずっと思っていました。
ついに発売日。
初めて聴いた感想はタイトルの通り「ありがとう世界………」です。語彙が消し飛びました。
涙が勝手にどばどば出てきて止まらなくて、歌詞カードが見えなくなって、それでも一生懸命最後まで聴きました。今やっと1日おいてまともに聴けるようになりましたが、気を抜くとまた泣きそうです。
初めて聴く曲であんなに泣いたのは阿部さんのソロ曲の「BLUE」以来数年ぶり2回目ってくらい泣きました。
何度も何度も聞いた1番。改めて歌詞を見ながら噛み締めるように聞いた。
何もかもが色を失って、「僕には音楽しかないから」と言っていた彼が、音を失う切なさ。
はじめましての2番。
Aメロはまだ苦しくて。でもフォロワーさん(みのりさんPの方です)が「五線の上でいつしかサイレント」から「五線の海で呼吸ピアニシモ」だから、少しずつ音楽を取り戻してるんですね、って教えてくれて、少しほっとしました。一人で聞いていた時はすごく悲しく聞こえていたので…。
そんなAメロ途中から裏にバイオリンが入り始めて、「カナリアの声で」「やっと…見つけたよ」
ここで涙腺が爆発してしまった
麗さんとの出会いはこんなにもドラマチックで、彼の世界を蘇らせてくれた。雑誌でも、今までのイベントストーリーでも、何度も見守ってきたこの事実を、改めて音を通して感じることができる。Altessimo担当Pとしてこんなにうれしいことが他にあるだろうか。(異論は認める)
どちらかというと、世界にはこんなにも素敵な音が満ちていたことを忘れてしまっていた、見失っていたのに気づいた、というニュアンスなんだろうか。「心動く揺れ」「あらゆる機微」という言葉もあるように、そういうふっと「素敵だな、いいな」と思えるものを、もう1度彼は音にしてわたしたちに届けたいと思えるようになった………彼は「元作曲家のアイドル」になったんだと、改めて痛感しました。逆に言うと、麗さんと出会うまではそういう細やかな気持ちの変化を切り捨てていたのかもしれないと思えてきて、すごく苦しくなった。海月のように、ただ漂っているだけの日々………。
2番サビ後の間奏からCメロの部分の凄まじさについての話をしたい。
2番サビの歌詞を受けてピアノソロ。彼の中の「押し寄せる思い」が実際にピアノの音として聞こえてくる……何度も言っているけれど「音を通して都築圭という人物を感じられること」、これが本当に本当に嬉しくて嬉しくてたまらない。ヴァイオリンとの疾走感溢れる連弾。わたしの頭の中では都築さんと麗さんがお互いに微笑みながら、相手の音に引き立てられて、より良い音をと競い合う幻想が見えました(P特有の幻覚)。そして転調してCメロ。
壮絶としか言い表せない己の語彙力をこんなに呪った日はないと思う。
先程までのめくるめく旋律と比べて、落ち着いたピアノの音に合わせてのCメロ。
歌詞のひとつひとつが、メロディが、都築圭の物語になっている……そしてあのファルセット。Voおばけと呼ばれる都築圭の本気を見た。これはVo値18679だわ。
こんなに優しい声で、未来を見据えて、「もう一度 今 届けてみようか」だなんて、そんなこと言われたら泣いてしまう。泣くしかないじゃん……都築圭と神楽麗が出会ったこの世界に感謝したい。いや二人を見つけてスカウトしたのプロデューサーだからわたしってことになってるんですけど。なんていうかこう、ほら、ね?(語彙力↓)
そしてラスサビ。
一番と同じ歌詞なんだけれど、聞こえ方が全然違う。もうひとりじゃない。都築さんの歌声と喧嘩することなく、絶妙な塩梅で後ろでずっとヴァイオリンとピアノが寄り添っていて。これは「Altessimoの都築圭」が歌う歌なんだなって、思いました。
これも先のフォロワーさんの言葉なのだけど、「つがいの羽」はもちろん都築さんと麗さんのことだけど、「見守る日差し」ってきっとプロデューサーさんのことなのかなって思いました、と言ってくださって、また泣きました。
Altessimoを応援してくれる皆さん、この曲を聞いてくださった皆さんへ向けている言葉だろうと思って聴いていたのですが、なぜかすっかり自分を蚊帳の外にしていたので、こう言っていただけたのが本当に嬉しかった。
好きなところがたっくさんあるこの曲なのだけど「なんてサンクチュアリ」の裏の音が特に狂おしいほどに好き。一呼吸おいて、「Rebirth My World」………情けない話、最後のコーラスを聞いてるとき本当に嗚咽が止まらなくて、聞き終わってからもしばらく放心状態でぽやーっとしていました。
2人にとって「Melody is Heart」で「Music is Heart」なんだな、ってそこの対比にも泣きました。似たような言葉ですけれど、確かに少しだけニュアンスが異なる言葉なんですよね。見事だなって。
本当に都築圭という人間の物語がここまで見事に描かれているなんて、と涙が止まらなかった。この曲を作ってくださった皆さん、ここまで都築さんを連れてきてくださった担当Pの皆さん、そして都築さんに命を吹き込んでくださった土岐隼一さんに心からの感謝を……!
麗さんのソロ曲「Echoes My Note」でも「奏でる」「届ける」という言葉はたくさん出てきました。Altessimoにとってきっとこのフレーズは永遠のテーマであり、彼らの活動の一番根底にあるものなのだと思います。
麗さんがアイドルを志望した理由は
心が奏でる音楽を、必要としている人に届けるために。
未来に向けた決意コメントでは
心が折れそうな時は誰にでもある。そんな時に寄り添えるような曲を奏でられるようになりたい。(後略)
と語っていますし、都築さんも
僕は見届けたいんだ。自分の音の可能性、この手から生まれた音に命が宿る瞬間を。(後略)
と、音楽の可能性を信じています。
お互いに一度失いかけてなお…いや、失いかけたからこそ「音楽しかない」と思っている彼らが、音楽を通して様々な新しい人に、事物に、世界に触れる。
そこで出会った新しい感動をまた音楽にして届ける。こうして彼らはきっと「誰も聞いたことのない、至上の音楽」へ辿り着いてくれるはずだ、とわたしは信じてやみません。
もちろん音楽に長けた2人ですが、「音楽しかない」なんてことはない、これから音楽だけじゃなく、たくさんの大切なものを見つけていくことだってできると思うんです。
まだまだ若輩の新人プロデューサーではありますが、いつか2人が目指す至上の音楽へ辿り着くその日まで、一緒に歩んでいきたいなと、そんなことまで考えさせてくれたソロでした。
グリーティングツアー北海道が本当に本当に楽しみと同時に恐ろしいですが、このあたりで筆を置くことにします。
次回、今度こそX Liedの話を、書きたい、と、思って、い、ます。
それではまた、ちゃお。
「音楽」と「世界」
ごきげんよう、こんばんは。
本当に書きたいことを書きたいときに書くスタイルが確立しつつある(物は言いよう)。
さて、今回筆をとったのは他でもない、担当のソロ曲の試聴について思ったことを覚え書きするためです。Twitterで発散したのだけど、流れてしまうのが少しさみしいなと思い、そういえばそんなときのためにここのブログ作ったっけ、って思い出した。
今回お話する「担当」とは、SideMの担当のことである。
315プロダクションに入社し、現在わたしはWとAltessimoの担当Pをさせていただいています。まだまだ新人へっぽこPながら、先日の浅草絢爛歌謡祭では無事上位入賞を果たし、念願の名前入りプロデュース実績称号をゲットしたぱかP。めちゃめちゃ嬉しかった。なんだかんだ都築さんとのご縁が一番多く恵まれたのもあって、担当の中でも思い入れが一番強いのが都築さんだったんです。これでやっと都築さんの担当Pだって胸を張って言えるな、と思った。
そしてセカンドライブ。縁あって1日目は現地に行くことが出来たのだけど、もう本当に、あの時あの場所で、Altessimoの初めての大舞台をこの目で見られたことは本当に幸せなことだったと思う。もちろんLVの2日目も315で、Wはすごくキラキラしてた。担当の2ユニットに限らず、315プロのみんなはすごく輝いていて、間違いなくわたしの人生で最も315な二日間だった。一週間以上経ってやっと少しずつ落ち着いてきたのだけど。まだ落ち着いてない時、彼らのさらなる活躍に思いを馳せている時(14日)に事件は起きた。
いやソロ試聴今来るか。今か。そうか北斗くんの誕生日か。
いやほんとに。セカライの余韻の中では破壊力マシマシすぎた。
セカライ前に来なかったのは「セカライでは歌わないよ宣言」であると同時に運営様のお慈悲であったに違いない。間違いなくこれセカライ前に来てたら生きて幕張から帰れなかった自信がある(?)。
というわけで本題。試聴を聞いて感じた徒然なること。
まず最初のチューニングのような音。そこまではよかった。そこから。
こんなに速い曲だとは思わなかった。今までずっと都築さんってまったりしたイメージがあったから、つい曲もゆったりしたテンポの曲だとばかり思っていて、まさかEchoes My Noteより速いこんな疾走感溢れる曲が来るとは本当に思っていなくて、まずめちゃくちゃびっくりした。中の人である土岐さんも仰っていたけれど、まさに「そう来たか~~~!!!」って感じ。
彼にとって世界はこんなにもドラマチックに見えていて聴こえていて、そのことを「音楽」を通して感じられたこと・気づけたことがすごく嬉しい。それってすごいことじゃない…?言ってしまえば彼らは二次元の住人で、直接会ったりはできない存在だ。作品世界のなかで、その作品の言葉を通して人となりが語られて、形作られていく。それが普通だと思っていたし、多分普通の作品なんだろうと思う。でも彼らはアイドルだから、歌をステージを通してこちらの世界に語りかけることができる。
彼にとっての世界をこうして音を通して感じられることに「都築圭はアイドルで表現者なんだ」と改めて痛感させられた。アイドルマスターってすごい。声優さんってすごい。
サビまではどこか哀愁漂うメロディが続く。音楽的にいうなら短調ってやつなんだろうな(ヤマハ音楽教室で学んだ知識はどこへ弾け飛んでしまったんだろう)。
これまたセカライ後に聞いたのが効いた(ギャグではない)のかもしれない、どちらかというと麗さんを見守る方にいることが多かったように思う都築さんだけれど、彼もまたすごく苦しんでいたわけだ。セカライでの「Opus」は本当に見ているこちらまで涙が止まらなくなるくらい苦しかった。そんな彼の苦しみが伝わってくるAメロ、Bメロ。
そしてサビ。浅草で明らかになったお父様や「(麗さんの言葉を借りると)親友」、そして「伝説の歌姫」との別れ。
自らの求める「音楽」を失ってしまった彼が「見つけた世界」。
それはきっとアイドルとして生きる道であり、315プロダクションで出会ったたくさんの人たちとの日々、そして神楽麗・Altessimoのことなんだろうなぁと。
それこそ今までの世界がReverse(Rebirthかもしれない)するほどの強烈な出会い…(ここで「Opus」最後の2人を思い返して泣き崩れるぱかP)
「日々湧き上がる音の泉を、僕はあといくつこの世界に留められるのかな。」
テンポに関してに少し戻るけども、聞いていてこのフレーズを思い出した。まず彼の中にまた「留めたい」と思えるほどの音の泉が湧き上がってくるようになったということ、そしてそれをどれだけ留められるだろうという彼の不安と期待が曲の疾走感にも表れているように思う。
正直な話。麗さんのオリピがあってから、少し不安だった。「Opus」では「一人じゃ未完成な音楽」だった2人だけれど、麗さんは「My Note」をしっかりひとりでも奏でられるようになっていて。でもじゃあ都築さんはどうなんだろう、ってすごくすごく不安だったんです。仙台で麗さんが「都築さんは一緒じゃないのか…さ、寂しくなどない!」って言ってくれることにどこか安心していたし、「やっぱり2人のAltessimoが好きだから」って言い訳して逃げていたのだけれど、すごく失礼な話だった。都築圭はとっくに、神楽麗と出会ったときに新しい世界を見つけていたんだね。
もちろん出会った時点ではまだ未完成ではあったんだろうけど、でもそこから彼の、彼らの「音楽」はまた鳴り始めた。そして今回のオリピでそれぞれがまた「自分の音楽」を取り戻して、奏でられるようになった。もう彼らはひとりでも立派なアイドルで表現者だ。でも2人でならもっと高みに行ける。これがAltessimoの形なんだ。そんなことにまで気づかせてもらえたソロだった。本当に都築さんにソロ曲をありがとうございます。世界に感謝したい。まぁまだハーフサイズなんだけどね。発売4月なんだけどね。待てない。
そんなことを言っている間に今週末には空くんと昂輝のソロが出てしまうし、明日からアスタリアイベだ。心と体力が果たしてもつのか…次回作にご期待ください。
多分恐らくフルが出たらまた何かしら言及するかもしれない…?前回から触れたかった具体と抽象の話はまた何かしらの機会に…とりあえず明日からのイベントの準備してきます、待ってろ悠介!ちゃお!
「君」という言葉
ごきげんよう、こんばんは。
本当にブログが不得手なのがバレる。継続して何か文章を書くことがこんなにも苦手だとは…。本当はCORONAの発売のときに途中まで記事を書いていたのだけど、結局着地点がわからず非公開のまま数ヶ月熟成させてしまった結果、月編が発売しました。
というわけで、
Growth「CORONA」「月影のリフレイン」発売おめでとうございます!
~ここから、前したためていた文そのまま~
フォロワーさんが「ぐろーすに宇宙旅行に誘われてそのまま星になって風に吹かれるCDです」と仰っていたのですが、なかなか的を射ているのでは…という感じの疾走感溢れる一曲でした。
~ここまで~
そんなこんなで月影のリフレインも発売されましたね。ついに花鳥風月シリーズ完結。おめでとうございます!!!!
年明けには新しいソロのシリーズも待っているとのことで、まだまだ期待させてくれるGrowthよ…これからも応援してますね。
さて前述の通りCORONAのときにも記事にしようとしていたのだけど、ここ最近Growthを聞いていると思うことがある。
「Growthの歌う『君』とはいったい誰のことなんだろう」。
そんなもん曲によって違って当たり前じゃろ!というツッコミが入るのはわかるし自分でも入れた。けれど、「命は流れ(FLOW AWAY) 彼方に羽ばたいて(不死鳥のネビュラ) 光と踊り(CORONA) やがて帰り着いた(月影のリフレイン)」と四曲は何かしらで繋がっているはず、この花鳥風月シリーズはただ自然の美しさを歌っただけなのだろうか。
まずは花から考えてみる。
「FLOW AWAY」を聞いたときには「君」はアーティストの歌における二人称、というありきたりな受け取り方しかできなかった。一般的な楽曲で歌われる、一般的な「君」の使われ方だ。一応は彼らはアイドルなので、そこでいう「君」はファンにあたるんだろうか?「不特定多数のこの曲を聞いてくれているあなた」をさす言葉であるように思えた。
またはこの曲をひとつの物語としたとき、Growth(なんだろうか、この曲には一人称がない)から見た相手となる人のことをさして「君」が使われているのであって、特定の誰かをさす言葉ではないのだろうな、というのが花を聞いたときの感想だった。
続いて鳥。
と思ったけれど、この曲には「君」という言葉は出てこない。タイトルにも出てくる不死鳥をテーマにした物語のような一曲に仕上がっている。だからだろうか、ここまではGrowthの歌う「君」はいわゆるポップスの「君」と同義だろうと思って聞いていたのだ。
君がそばにいることで 僕らが 今 解り合える 心の音は
呟くような 小さな波で 結んだ指 繋いだメロディ
何も残らなくたっていいから
ただ 君と声を重ね 歌うよ
この光景を抱きしめていたい
どこにいても 信じ合いたい
今回このCORONAでは、というか特にここのCメロの歌詞を見ていると、聴いている人であると同時にグループのメンバーのことなんじゃないか?って使い方が多かったように思う。もちろん聞いているファンのことだろうとも思ったし思うのだけれど、「聞いている人もGrowthを作り上げる粒子(※二番Aメロ剣介パートから)のひとつである」「そしてメンバー自身がGrowthをだいすきで、誰よりも衛の作る歌のファンである」ということでもあるのかなぁ、とか考えていた。~CORONAの歌詞引用からここまで月発売前の文章~
つまりはここから「君」は聞き手をさす言葉から、曲の作り手である衛がメンバーにあてた言葉でもあるのではないか、という捉え方が生まれてきたのではないか、と推測する。
世界が滅びても 君を探すから
魂に いつまでも 愛は輝いて
ルナ 明日へ さあ 讃えよう
そして月だ。月が発売されてからというもの、友人との感想を言い合う会(不定期開催)では「衛はかぐや姫なのではないか???」というフレーズが何度も何度も繰り返し出てきた。もう「か」って打ったらかぐや姫が予測変換の一番最初に出てくるくらいには、一生分くらいかぐや姫って言葉を使った。
CORONAでは「ファンはもちろん、メンバーを含むGrowthというグループを見守っていてくれる存在」のことだと(個人的に)感じていた「君」は、月影のリフレインではよりキャラクターに寄り添った言葉になったように思う。特典の缶バッジも月は衛だし、試聴版のMVもどこか物悲しいピアノソロから、儚げな衛のイラストと共に「最期に見えた月夜に 誓いを立てた 引き裂かれても フィリアは君のほうへ」と始まり、いろんな人が言っていたけれど「衛がどこかにいなくなってしまうのではないか?」という雰囲気に溢れていた。
でもフルを聞けばそんなことはなくて、最初のフレーズもネガティブな言葉ではなくて未来に託す願いだ、ということはわかる…(捉え方によってはむしろ悲劇なのかもしれないが)。
同じ言葉がこんなに違って聴こえるってすごい。でもこれ、逆に月が発売された今なら「FLOW AWAYにおける『君』もまた、衛がメンバーにあてた言葉なのかもしれない」と見ることも出来るし、逆に月の「君」だって聞き手をさす「君」ととることだってできる。さて、だんだん着地点がわからなくなってきた。
個人的に(って改めて言うまでもなくこの記事の内容はすべて個人の主観に基づいて書かれているが)この花鳥風月シリーズは、花から鳥、風、月へと巡ってまた花に戻る、巡り続ける物語なのかなあと思っている。特典の衛の言葉を借りると「旅の仕方」が四曲それぞれで違って、一人称も二人称も違ってしかるべきなのかもしれない。自分でツッコミ入れた時点で気づくべきだったんだろうけれど、これ考えたところで考えるな感じろっていうのが正解だわ。ここまで必死に考えてきたことはなんだったんだ。考察とかそんなもんではなくただの感想文ですが、眠らせておくのもなんか寂しかったのでしれっとあげておく。
そんなわけで次回、具体と抽象の話。続くかもしれないし続かないかもしれない。
恥ずかしくなったらまた非公開にするか、何かしら書き足すかもしれない。ちゃお。