ごきげんよう

一年中ふとんが恋しい

思い出とこれから

 

ごきげんよう、こんばんは。
気づけば8月ももう半ばにさしかかっているという事実に震え上がっている今日この頃です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

せっかくブログを作ったことだし何か書きたいなぁ、と思う反面、ワーッとまとまった文章を書くのがとても苦手(前回の記事も後半にさしかかるにつれどんどん雑な文になっている、本当に雑)なので、筆がノッてる時じゃないとなかなかまとまりのある文章にならない。それから、個人的に「まだあまり詳しくないもの」「好きになって日の浅いもの」について自分ごときが語るのは少し気が引けてしまって、あまり積極的にはしないのだけど、それでもいろいろと思うところがあったのでひとつ、筆をとってみようと思う。

今日考えたこと、それは「声優とアイドルとユニットのありかた」という話です。

 

今朝、とある国民的アイドルグループの解散が発表されたそうで。昨日コミケに参加していたわたしは三度寝からの朝寝坊をかまし、後からニュースやらなんやらで見かけて知った。昨晩からなんとなく話題になっていた気がするのだけど、正直眠くてあまり覚えていない。
別に名前を伏せることもないのだけど、わたしは彼らに関して、本当に「国民的アイドルグループ」という程度の知識しかない。よくメディアに出てくるマルチなアイドル。あまりアイドルに明るくないわたしでも存在と、メンバーひとりひとりのなんとなくのパーソナリティは知っている。そんな人たちだ。彼らについて話している人は、特に今日はたくさんいるだろうから、彼らの記事を探している人の検索候補には出てこないように、少し話題の違うここでは名前を出さないことにします。

さて、この「国民的アイドルグループの解散」ということなのだけど、本当にこれは国民的一大事なわけで、やはり彼らのもつ影響力というものは一国のメディアを揺るがすほどの絶大なものなわけだ。それだけのカリスマ的人気を持ち、様々なものを犠牲にしながら、様々なものと戦いながら、様々な人々に愛されてきた彼ら。たくさんの人に幸せを届けられる存在は、その実すごくたくさんの努力と苦労の上に成り立つものなのだなぁと思うと、本当に彼らはすごい人たちだったのだなぁ、と、一般人(?)のわたしでも思う。
これからは「彼ら」ではなく「彼」になる。この感覚が少しだけ、かつてわたしが大好きだった、そして今も大好きなユニットに似ている気がして、こんなことを書いている。

そのユニットは「G.Addict」という。(唐突)

 

G.Addict。ランティスという会社の創立10周年を記念してつくられた「グラール騎士団」という作品のメインキャラのキャスト4人、梶裕貴阿部敦寺島拓篤、堀江一眞のユニットだ。2009年の夏に発足し、2枚のシングル、ミニアルバムとアルバムを1枚ずつ発売。ランティスから歌を出している男性声優が出演するライブ、「Original Entertainment Paradise」略しておれパラにも二度参加。2011年には最初で最後の(本当は最後の、とつけたくはないのだけど)ワンマンライブ「Live Sign of Addiction'11」を品川ステラボールにて行った。
そのワンマンライブのDVD発売を最後に、解散することもなく事実上の活動停止となった、わたしにとって、人生で一番だいすきなユニットだ。

 

本当はこんな話、いますることではないと思っているし、他の「ユニット」「グループ」の解散をきっかけにまたこのことを思い出すなんて、正直あまり良いこととは思えない。
でも、これを機に今一度、自分の中の「彼ら」と向き合ってみたいと思った。思ってしまった。

音沙汰がなくなってもう5年が経つ。まだ5年、とはさすがにもう言えなくなった。もう5年。長いようであっという間だった。

 

きっかけはメンバーのうち3人を知っていて、興味が湧いたからだった。
最初に聞いたのは4人全員で歌っている最初の曲「signal」と、その一人だけ知らなかった人―結局その人がメンバーの中で一番好きになるのだけど―阿部敦さんのソロ曲「断罪のShadow」だった。
まず曲に惹かれた。そしてとにかく、4人の声と、性格と…ぜんぶ、バランスがよかった。あの4人だから、好きだった。
もともとは声優として、個人で活動している彼らだけれど、G.Addictとしてユニットをしている姿は、ひとりひとりが表現者としてだいすきだった。
全部過去形にしてしまうくせがすっかりついてしまったけれど、今ももちろんだいすきだ。彼らを追いかけた時間、彼らと共にあった時間は、これまでもこれからもわたしにとって宝物のような時間だ。きっともう、彼らを超えるユニットは現れないと真剣に今も思っているくらいには。

 

そんな彼らだが、DVDが発売されしばらくして(もっと前だったかもしれない)、メンバーの内の2人のソロでの歌手デビューが発表された。
もちろん嬉しかった。4人とも大好きだから。もちろん2人の歌も大好きだから。
でも彼らが事実上活動停止になってから、「G.Addictは2人のソロのための踏み台にされたんだ」と言っている人がいるのを見かけた。
未だにこれがどうしても忘れられなくて、すごく悔しかった。
なんであの4人のキラキラしてた時間にそんなことを言うんだろう。なんで喜べないのかな、って思ってしまった。
少なからず残りの2人は?って気持ちもわからなくはなかった(わたしの推しもそちら側でしたし)けど、でも踏み台なんて、そんな言い方。
あの4人じゃなきゃG.AddictはG.Addictにはならなかったと思うし、あの4人でいた時間があったから2人がソロデビューできたのだとしたら、それはとても嬉しいことじゃないか。

…でも、それからしばらく。おれパラのホストが代替わりをした。あの時はさすがに戸惑った。未だにあれから国技館には行けていないままだ。
わたしも大概、2人のソロデビューを受け止められていなかったのかもしれない。

「彼ら」はもう、「彼」になっていたのだ。

 

声優のユニットって、こういう可能性を常に孕んでいるものなのだと思う。あくまでもともとは個々がひとりの声優なのだから。
そのユニットが一番メインの仕事というわけではないのだから、プロジェクトの終了と共にいずれ解散なり、活動休止なりが待っている。今わたしがだいすきな、彼らに届く可能性すら秘めたGrowthだって、sideMの彼らだって。考えたくはないけれど、いずれ終わりは来る。
その「どう足掻いてもやってくる終わり」をどれだけ遠ざけられるのか。これがファンにできることなのかなぁ、とぼんやり考えている。もちろんそれでもどうしようもないこともあるのだけれど…でもやっぱりファンが待ち望んでいれば。そう信じて今日も推し事をしている次第。
それに、ユニットが解散しても、個々の彼らには会える。どんどん表現者として成長していく彼らひとりひとりには会える。いつかまた、彼らが顔を合わせたときに笑い合えるように。わたしたちの方も彼らとの時間を、たくさんの思い出、出会いを。大切にしていきたいなと、そう祈った。

 

余談だけども、先日フォロワーさんに誘われて寺島さんのワンマンに行った。
寺島さんのソロの舞台に行くのは初めてだった。すごくすごく緊張したし、受け入れられるかなって何度も思った。
でもそんな過去にしがみついていたわたしの不安なんて簡単に吹き飛ばしてしまうくらい素敵なステージだった。国際フォーラムのデカい「秘密基地」を、彼はひとりあれだけ沸かせるくらいになっていて。ステージを見つめる人の瞳はキラキラしていた。
彼は間違いなく大きくなっていたけれど、でもあの頃と同じ「寺島さん」だったのだ。

それを見てやっと何かふっきれた。ひとりでも彼らは立派な表現者で、それはあの時も今も変わらないし、もっと成長していくのだろう。

これからの4人のますますの活躍を、心から応援している次第であります。

 

途中から着地点が迷子になってしまって、どうしめればいいのかわからなくなってしまった。まとまったかしら。
またそのうち加筆訂正するかもしれない(言い訳)けど、今日はこのへんで。ちゃお。