ごきげんよう

一年中ふとんが恋しい

「君」という言葉

ごきげんよう、こんばんは。

本当にブログが不得手なのがバレる。継続して何か文章を書くことがこんなにも苦手だとは…。本当はCORONAの発売のときに途中まで記事を書いていたのだけど、結局着地点がわからず非公開のまま数ヶ月熟成させてしまった結果、月編が発売しました。

 

というわけで、
Growth「CORONA」「月影のリフレイン」発売おめでとうございます!

 

~ここから、前したためていた文そのまま~
フォロワーさんが「ぐろーすに宇宙旅行に誘われてそのまま星になって風に吹かれるCDです」と仰っていたのですが、なかなか的を射ているのでは…という感じの疾走感溢れる一曲でした。
~ここまで~

そんなこんなで月影のリフレインも発売されましたね。ついに花鳥風月シリーズ完結。おめでとうございます!!!!
年明けには新しいソロのシリーズも待っているとのことで、まだまだ期待させてくれるGrowthよ…これからも応援してますね。
さて前述の通りCORONAのときにも記事にしようとしていたのだけど、ここ最近Growthを聞いていると思うことがある。

「Growthの歌う『君』とはいったい誰のことなんだろう」。

そんなもん曲によって違って当たり前じゃろ!というツッコミが入るのはわかるし自分でも入れた。けれど、「命は流れ(FLOW AWAY) 彼方に羽ばたいて(不死鳥のネビュラ) 光と踊り(CORONA) やがて帰り着いた(月影のリフレイン)」と四曲は何かしらで繋がっているはず、この花鳥風月シリーズはただ自然の美しさを歌っただけなのだろうか。

 

まずは花から考えてみる。
「FLOW  AWAY」を聞いたときには「君」はアーティストの歌における二人称、というありきたりな受け取り方しかできなかった。一般的な楽曲で歌われる、一般的な「君」の使われ方だ。一応は彼らはアイドルなので、そこでいう「君」はファンにあたるんだろうか?「不特定多数のこの曲を聞いてくれているあなた」をさす言葉であるように思えた。
またはこの曲をひとつの物語としたとき、Growth(なんだろうか、この曲には一人称がない)から見た相手となる人のことをさして「君」が使われているのであって、特定の誰かをさす言葉ではないのだろうな、というのが花を聞いたときの感想だった。

 

続いて鳥。
と思ったけれど、この曲には「君」という言葉は出てこない。タイトルにも出てくる不死鳥をテーマにした物語のような一曲に仕上がっている。だからだろうか、ここまではGrowthの歌う「君」はいわゆるポップスの「君」と同義だろうと思って聞いていたのだ。

 

君がそばにいることで 僕らが 今 解り合える 心の音は

呟くような  小さな波で 結んだ指 繋いだメロディ

何も残らなくたっていいから

ただ 君と声を重ね 歌うよ

この光景を抱きしめていたい

どこにいても 信じ合いたい

今回このCORONAでは、というか特にここのCメロの歌詞を見ていると、聴いている人であると同時にグループのメンバーのことなんじゃないか?って使い方が多かったように思う。もちろん聞いているファンのことだろうとも思ったし思うのだけれど、「聞いている人もGrowthを作り上げる粒子(※二番Aメロ剣介パートから)のひとつである」「そしてメンバー自身がGrowthをだいすきで、誰よりも衛の作る歌のファンである」ということでもあるのかなぁ、とか考えていた。~CORONAの歌詞引用からここまで月発売前の文章~

つまりはここから「君」は聞き手をさす言葉から、曲の作り手である衛がメンバーにあてた言葉でもあるのではないか、という捉え方が生まれてきたのではないか、と推測する。

世界が滅びても 君を探すから

魂に いつまでも 愛は輝いて

ルナ 明日へ さあ 讃えよう

 そして月だ。月が発売されてからというもの、友人との感想を言い合う会(不定期開催)では「衛はかぐや姫なのではないか???」というフレーズが何度も何度も繰り返し出てきた。もう「か」って打ったらかぐや姫が予測変換の一番最初に出てくるくらいには、一生分くらいかぐや姫って言葉を使った。

CORONAでは「ファンはもちろん、メンバーを含むGrowthというグループを見守っていてくれる存在」のことだと(個人的に)感じていた「君」は、月影のリフレインではよりキャラクターに寄り添った言葉になったように思う。特典の缶バッジも月は衛だし、試聴版のMVもどこか物悲しいピアノソロから、儚げな衛のイラストと共に「最期に見えた月夜に 誓いを立てた 引き裂かれても フィリアは君のほうへ」と始まり、いろんな人が言っていたけれど「衛がどこかにいなくなってしまうのではないか?」という雰囲気に溢れていた。
でもフルを聞けばそんなことはなくて、最初のフレーズもネガティブな言葉ではなくて未来に託す願いだ、ということはわかる…(捉え方によってはむしろ悲劇なのかもしれないが)。

 

同じ言葉がこんなに違って聴こえるってすごい。でもこれ、逆に月が発売された今なら「FLOW AWAYにおける『君』もまた、衛がメンバーにあてた言葉なのかもしれない」と見ることも出来るし、逆に月の「君」だって聞き手をさす「君」ととることだってできる。さて、だんだん着地点がわからなくなってきた。

個人的に(って改めて言うまでもなくこの記事の内容はすべて個人の主観に基づいて書かれているが)この花鳥風月シリーズは、花から鳥、風、月へと巡ってまた花に戻る、巡り続ける物語なのかなあと思っている。特典の衛の言葉を借りると「旅の仕方」が四曲それぞれで違って、一人称も二人称も違ってしかるべきなのかもしれない。自分でツッコミ入れた時点で気づくべきだったんだろうけれど、これ考えたところで考えるな感じろっていうのが正解だわ。ここまで必死に考えてきたことはなんだったんだ。考察とかそんなもんではなくただの感想文ですが、眠らせておくのもなんか寂しかったのでしれっとあげておく。
そんなわけで次回、具体と抽象の話。続くかもしれないし続かないかもしれない。

恥ずかしくなったらまた非公開にするか、何かしら書き足すかもしれない。ちゃお。