ごきげんよう

一年中ふとんが恋しい

都築圭という人のおはなし

 

ごきげんよう

昨日2017年11月18日。
アニメ「アイドルマスターSideM」にて、担当ユニットのひとつであるAltessimo(をまだ結成する前の都築圭と神楽麗)が、動いて喋りました。

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なんという世界線に生きているんだ。感謝しかない。

それに伴い、いろいろ都築さんと音楽についてまたいろいろ解釈が深まったというか、考えるところがあったので、自分用の備忘録としてぽちぽちすることにしました。

あくまで個人的な解釈なので、これを受けて「わたしもそう思う」と思う方も、「ここは理解できるけどここは違うと思う」「そもそも決定的に解釈が違う」と思う方もいらっしゃると思います。この記事が「あなたにとってのAltessimo・都築圭」を考えるきっかけのひとつになればうれしいな、と思います。いろんな人にとってのAltessimo像を見るのが好きなので…!もしよければ、是非「あなたの思うAltessimo」のことも聞かせてくださいね。

 

作曲家・都築圭

さて、都築さんは元作曲家のアイドルです。今まで彼の作曲家時代について言及されていることといえば、

・「伝説の歌姫」の大ヒットしたデビュー曲(でありその曲を最後に引退してしまった事実上最初で最後のヒット曲)を作った(虹の音楽祭イベスト・雑誌ほか)。

・「あのときの彼女の歌は、素晴らしかったなぁ。僕が歌にこめた期待以上に、彼女は応えてくれてね。歌に魂が注がれていくさまを見て、心が震えたよ」「あの頃の僕は、彼女に曲を捧げることが全てだった。僕の作る曲に魂を吹き込み、最も美しい音へと昇華させてくれるのは彼女だけだと思っていたから。」(ST@RTING LINE11ドラマパートより)

・旬くんに「都築圭さんですね。驚きましたよ。あんな著名な音楽家が、日本のこんな、小さなプロダクションに所属していたなんて。」と言われるほどの人だった。(電撃オンライン「現役高校生バンド"High×Joker"にインタビュー!」より)

などがぱっと挙げられると思います(もちろん他にもたくさんありますが)。

これまでの彼を見ていると、「彼は世間に著名な音楽家として認められていながら、恐らくは『彼女』との別れが原因か、何かしら自分の表現したい音楽を見失ってしまったのではないか」、と思っていました。まだふんわりとした理解しか出来ていなかったので、いつかそれが補完される日は来るだろうか、と、自分なりに彼がどんな「理由」を背負っているのかわかる日が来るのかと待っていました。まさかそれが、アルテはそんなに出ないだろうと思っていたアニメでのことになろうとは。

ですがまず先に話題にあげるのは、時系列的にアニメよりも先に世に出た、ORIGIN@L PIECES04に収録されているソロ曲「Sanctuary World」です。

 

「五線の上でいつしかサイレント」

これまで「Never end『Opus』」でもAltessimoの2人の苦悩は歌われていましたが、都築さんの過去については、今までぼんやりとしか明かされていませんでした。明言されていたら完璧にわたしの見落としですごめんなさい。

ソロの感想については前も書いたので詳細は割愛するのですが(よければここからどうぞ→ありがとう世界 - ごきげんよう) 、わたしはこの曲を聴いて、麗さんとの出会いで彼の世界が再び色づき、世界はこんなにも素敵な音に満ちているのだな、ということを思い出せた…そして彼が感じた世界を音にして届けたいと思えるようになった、ということなのかな、と感じていました。
しかしまぁ、やっぱり過去についての明確な答えがあるわけではなく、これまたぼんやりとですが、音を通して彼のこれまでの苦しさと未来への期待が届いてきたことに感動したことを覚えています…… このときもまだ、「彼は自分の探していた『奏でたいと思える音』をなくしていたのではないか」ということを考えていたわけなのですが、明確な答えとは言えず。

ではそもそも、彼にとっての「良い音」「素敵だと、奏でたいと思える音楽」(俗っぽい表現しか出来ずすみません)とはどんなものなのかを一度考えたいと思います。

 

都築圭の「音楽」

パラダイスリゾートでの一件や、自然満喫、ジャパンフェスタなどのカード台詞を見ていても、彼は自然事象(波の音や風の音など)や動物からも「音」を感じ取ることで自分なりに吸収・解釈することができるように思います。

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また、初期のイベントストーリーでは
「確かに音楽も、解釈は必要だけど結局は心で感じるものが大きいだろう。(ドレミファ★メロディ ストーリー02より)」
「2人の間は、言葉ではなく音楽で繋がっていたしね。(スクール・オブ・コーラス ストーリー07より)」
のような言葉もあり、無理に言葉で表さなくとも、音楽があれば相手を・自分を理解できる、音は言葉より雄弁、みたいな部分があったのではないか、と考えました。音楽は、彼の中にある世界を表現し人に届ける(発信する)ためのものであり、他者や物事を感じ取る(受信する)ためのもの…コミュニケーションツールでもあったのではないか、と。まさに「Music is Heart(音楽は心)」というか。オフショットの台詞でも画像のように述べています。

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ですが、もちろん誰もが彼の音楽(にこめられた「伝えたいこと」)を、言葉での説明なしに音だけで完璧に理解できるわけではありません。空の境界に出てくる玄霧皐月の「統一言語」みたいなものですから(わかる方には伝わるかな…?)、一方通行のコミュニケーションになってしまう。ストーリーを経るごとにだんだんと「言葉にしないと伝わらないこともある」ということを理解して、彼なりに言葉にして伝えようとしてくれる機会が増えてきているように感じています。ありがとう神イベですね浅草

これを踏まえて、彼がプラスの感情で「感じ取って」いる音楽はどんなものか。ドレミファ★の雑誌では子どもとの連弾を楽しんでいる様子が描かれていたり、音楽教員のカード台詞では学生の合唱に興奮していたりと、巧拙よりも「そこにどんな気持ちが込められているか?」を重要視しているように見えます。サイバネでも「うまく歌わなければ」と力んでしまう旬くんに「そんなに肩の力を入れなくてもいいんじゃないかな。」「音を奏でるって、もっと幸せで…楽しいことだよ。」とアドバイスしていますし、大事なのは「上手下手ではなく、曲が生き生きとしていること」なのかなぁ、と思うのです。

ここでひとつ、彼と音楽を考える上で、ずっと引っかかっていた台詞について触れさせてください。それがこれです。

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「くだらない流行歌」

先に「彼は音を通して人や動物から気持ちを感じ取ることができるのではないか」とお話しました。それならば、どんな曲にも作り手の意図や気持ちが込められていることだって、作り手である彼は十分わかっているはず。そんな彼が「くだらない流行歌」というかなり強い言葉で、誰かしらの作った曲を批判することがずっと謎でした。
…見た目のイメージから、クラシックよりの作曲をするのではないかと考えられていた期間が長かったのもあり、「誰かが作っている量産されるアイドルソングなどに対してこれを言っているのではないか」とずっと思っていたのですが、その謎が今回のアニメでの登場で、自分なりに解釈できるようになりました。

これは「惰性で書き上げたメロディ」に対する自己批判なのではないか、と。

 

アニメ(とそれに伴うゲーム内雑誌)では、驚異的ヒットを記録した話題の作曲家として情熱熱血大陸で特集されていたわけですが、「放送終了より一週間見逃し配信」とわざわざ書かれているところからも、恐らくあの番組は(四季くんが録画とかしていたのでは?という意見もありますが)最近放送されたものではないかと予想できます。となれば、時期的にはもう「彼女」はいない頃のはずで、それでも彼はヒット曲を生み出していたことになる。
(華村さんの一件などもあり、モバとは別次元の可能性も大いにありますが)(というか別次元だとは思うのですが根底の部分は変わらないですしということで、)エムステで「僕の曲をあんな風に歌ってくれる人には、きっともう出会えない…」と明言していたり(アイドルストーリー都築圭1話)、先に例にあげたSLのドラマパートでも「彼女」の存在の大きさを感じられます。

でも、彼はプロの作曲家です。ヒット曲を生み出した以上、それ以降も仕事の依頼は来たでしょうし、きっと彼は「彼女」を失ってなお、曲を書き続けていた。そして恐らくそれらの曲もまた、世間には受け入れられ、ヒットしていた。インタビューのなかで彼は「言葉は必要ないよ、相手の心が奏でる音に耳を傾ける、それだけでいい…」と語っていて、曲作りにおける根本の部分‪──相手の音を自分が感じ取って、それをまた自分なりに表現して発信する‪──は変わっていない。でも、きっとその「歌」は、彼の求めるものではなかったのではないでしょうか。

「曲」は表現してくれる奏者がいて初めて「歌」になり、受け手の耳に届きます。
自分の作った「曲」を、最高の形で「歌」にしてくれる存在を失った彼は、それでも「曲」を書き続けたのでしょう。もしかしたら、流行している(=どうも多くの人の心に届いているらしい)歌を真似して曲を作ったりもしたのかもしれない。それでも「……僕も待ってるんだ」「僕の中から新しい音楽が生まれる瞬間を」と言っているとおり、自分の目指す「音楽」は見つけられなかった。ずっと自分の「曲」を「歌」にして羽ばたかせ昇華させてくれる存在ともう一度出会えるのを待っていたのです。

 

そして、「やっと…見つけたよ」。

吹き込もう 埃かぶり
褪せたメロディ そこに命を

自分の気持ちを込めたところで届かないだろうと書き続けた「曲」を、相手の心が奏でる音を「曲」にしても、最高の「歌」にはなれなかったそれらを。麗さんのヴァイオリンは天上の音楽に変えてくれた。

彼とならば、新しい音楽を生み出せると思った。
だから、「君と奏でたい!」と、あの時彼は言ったのではないでしょうか。

自分の作った曲になら「くだらない流行歌」という言葉を使ったことも納得がいって自分の中にストンと落とし込むことができたし、初期のカードにおける自己評価の低さもなるほどと合点がいきます。

 

「もう一度 今 届けてみようか」

あくまで彼は「作曲家」であり、「歌を届ける」人間ではなかった。
彼はもともと自分は表舞台に立つ存在ではない、と恒常Nでも言っていましたが、恐らくこれは「曲を歌にする方」ではないという意味だったのではないでしょうか。だから作曲家としてテレビとかに出たことはあっても不思議じゃないなと。

 

「彼はヒット曲を生み出す作曲家として世に認められた存在でありながら、何かが足りないと思っていて、『曲』に命を吹き込み、『歌』にしてくれる人を探していた」

これが彼の「理由あって」なのかなぁ、というのがわたしなりの答えです。

 

そして神楽麗に出会ったことで見つけたセカイを、新しい音楽…新しい楽譜(ゆめ)を、自らも彼と、プロデューサーと共に「歌」にしようと決めた。

 

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1月には待ちに待った3rdアニバCDの発売も発表されました。
二人がこれから奏でていく「新しい歌」は、どんなものになるのでしょうか。

これからのAltessimoからも目が離せません。

 

どうかたくさんのプロデューサーさんが、彼らのことを見つけてあげられますように。
ありがとう、アニメアイドルマスターSideM

 

いつか"よろこびのうた"を届ける彼らを、またアニメで見られますように。

そして2人がこれからも、至高の音楽を目指して歌い続けてくれますように。

これからも精一杯プロデュースしていきたいと思ったのでした。

どうぞ同僚のみなさま・ファンのみなさま。これからもよろしくお願いします。

 

ここまで長々とお付き合いくださりありがとうございました!!!

ありがとう世界

 

温度差が激しくて体温調節がままならない今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

ついに昨日、4月26日
THE IDOLM@STER SideM ORIGIN@L PIECES 04が発売されました。

今回はその中でも担当である都築圭さんの楽曲「Sanctuary World」のお話をします。

まだ聞いてない、ネタバレはごめんだという方はそっとブラウザバック推奨です。以下ネタバレしかないです。

THE IDOLM@STER SideM ORIGIN@L PIECES 04

THE IDOLM@STER SideM ORIGIN@L PIECES 04

 

(Amazonさんは配送が遅れている?らしいので、もし可能なら実店舗や他の通販をご利用いただいた方が早く到着するかもしれません)

 

さて、いくつか前の記事でもお話したとおり(音楽と世界)、わたしはWとAltessimoの担当Pをしています。その中でも特に都築さんとのご縁にたくさん恵まれたというのもあり、都築さんは担当4人の中でも特に思い入れのあるアイドルです。

まず試聴のときめちゃくちゃ驚かされました。オフショットSRみたいなふわっとしたイメージがどうしてもあって、楽曲もふわふわした、優しい春の陽射しみたいな曲だと思い込んでいたからです。試聴については詳しくは前述の記事でお話したので省きます。

試聴を聞き込んでいるうちに発売された声優グランプリでの土岐さんのコメントがまた衝撃的でした。

それだけに今回のソロ曲に対する期待と、同じくらい未知への恐怖みたいなものがあって。都築圭という人物の過去、現在、未来さえも描くこの「音楽」を、「世界」を、わたしは受け止めきれるだろうか…そんなことをぼんやりとずっと思っていました。

 

ついに発売日。

初めて聴いた感想はタイトルの通り「ありがとう世界………」です。語彙が消し飛びました。

涙が勝手にどばどば出てきて止まらなくて、歌詞カードが見えなくなって、それでも一生懸命最後まで聴きました。今やっと1日おいてまともに聴けるようになりましたが、気を抜くとまた泣きそうです。
初めて聴く曲であんなに泣いたのは阿部さんのソロ曲の「BLUE」以来数年ぶり2回目ってくらい泣きました。

 

何度も何度も聞いた1番。改めて歌詞を見ながら噛み締めるように聞いた。
何もかもが色を失って、「僕には音楽しかないから」と言っていた彼が、音を失う切なさ。

はじめましての2番。
Aメロはまだ苦しくて。でもフォロワーさん(みのりさんPの方です)が「五線の上でいつしかサイレント」から「五線の海で呼吸ピアニシモ」だから、少しずつ音楽を取り戻してるんですね、って教えてくれて、少しほっとしました。一人で聞いていた時はすごく悲しく聞こえていたので…。

そんなAメロ途中から裏にバイオリンが入り始めて、「カナリアの声で」「やっと…見つけたよ」

ここで涙腺が爆発してしまった

麗さんとの出会いはこんなにもドラマチックで、彼の世界を蘇らせてくれた。雑誌でも、今までのイベントストーリーでも、何度も見守ってきたこの事実を、改めて音を通して感じることができる。Altessimo担当Pとしてこんなにうれしいことが他にあるだろうか。(異論は認める)

どちらかというと、世界にはこんなにも素敵な音が満ちていたことを忘れてしまっていた、見失っていたのに気づいた、というニュアンスなんだろうか。「心動く揺れ」「あらゆる機微」という言葉もあるように、そういうふっと「素敵だな、いいな」と思えるものを、もう1度彼は音にしてわたしたちに届けたいと思えるようになった………彼は「元作曲家のアイドル」になったんだと、改めて痛感しました。逆に言うと、麗さんと出会うまではそういう細やかな気持ちの変化を切り捨てていたのかもしれないと思えてきて、すごく苦しくなった。海月のように、ただ漂っているだけの日々………。

 

2番サビ後の間奏からCメロの部分の凄まじさについての話をしたい。

2番サビの歌詞を受けてピアノソロ。彼の中の「押し寄せる思い」が実際にピアノの音として聞こえてくる……何度も言っているけれど「音を通して都築圭という人物を感じられること」、これが本当に本当に嬉しくて嬉しくてたまらない。ヴァイオリンとの疾走感溢れる連弾。わたしの頭の中では都築さんと麗さんがお互いに微笑みながら、相手の音に引き立てられて、より良い音をと競い合う幻想が見えました(P特有の幻覚)。そして転調してCメロ。

壮絶としか言い表せない己の語彙力をこんなに呪った日はないと思う。
先程までのめくるめく旋律と比べて、落ち着いたピアノの音に合わせてのCメロ。
歌詞のひとつひとつが、メロディが、都築圭の物語になっている……そしてあのファルセット。Voおばけと呼ばれる都築圭の本気を見た。これはVo値18679だわ。

こんなに優しい声で、未来を見据えて、「もう一度 今 届けてみようか」だなんて、そんなこと言われたら泣いてしまう。泣くしかないじゃん……都築圭と神楽麗が出会ったこの世界に感謝したい。いや二人を見つけてスカウトしたのプロデューサーだからわたしってことになってるんですけど。なんていうかこう、ほら、ね?(語彙力↓)

 

そしてラスサビ。

一番と同じ歌詞なんだけれど、聞こえ方が全然違う。もうひとりじゃない。都築さんの歌声と喧嘩することなく、絶妙な塩梅で後ろでずっとヴァイオリンとピアノが寄り添っていて。これは「Altessimoの都築圭」が歌う歌なんだなって、思いました。

これも先のフォロワーさんの言葉なのだけど、「つがいの羽」はもちろん都築さんと麗さんのことだけど、「見守る日差し」ってきっとプロデューサーさんのことなのかなって思いました、と言ってくださって、また泣きました。
Altessimoを応援してくれる皆さん、この曲を聞いてくださった皆さんへ向けている言葉だろうと思って聴いていたのですが、なぜかすっかり自分を蚊帳の外にしていたので、こう言っていただけたのが本当に嬉しかった。

好きなところがたっくさんあるこの曲なのだけど「なんてサンクチュアリ」の裏の音が特に狂おしいほどに好き。一呼吸おいて、「Rebirth My World」………情けない話、最後のコーラスを聞いてるとき本当に嗚咽が止まらなくて、聞き終わってからもしばらく放心状態でぽやーっとしていました。

 

2人にとって「Melody is Heart」で「Music is Heart」なんだな、ってそこの対比にも泣きました。似たような言葉ですけれど、確かに少しだけニュアンスが異なる言葉なんですよね。見事だなって。

本当に都築圭という人間の物語がここまで見事に描かれているなんて、と涙が止まらなかった。この曲を作ってくださった皆さん、ここまで都築さんを連れてきてくださった担当Pの皆さん、そして都築さんに命を吹き込んでくださった土岐隼一さんに心からの感謝を……!

 

 

麗さんのソロ曲「Echoes My Note」でも「奏でる」「届ける」という言葉はたくさん出てきました。Altessimoにとってきっとこのフレーズは永遠のテーマであり、彼らの活動の一番根底にあるものなのだと思います。

麗さんがアイドルを志望した理由は

心が奏でる音楽を、必要としている人に届けるために。

未来に向けた決意コメントでは

心が折れそうな時は誰にでもある。そんな時に寄り添えるような曲を奏でられるようになりたい。(後略)

と語っていますし、都築さんも

僕は見届けたいんだ。自分の音の可能性、この手から生まれた音に命が宿る瞬間を。(後略)

と、音楽の可能性を信じています。

お互いに一度失いかけてなお…いや、失いかけたからこそ「音楽しかない」と思っている彼らが、音楽を通して様々な新しい人に、事物に、世界に触れる。
そこで出会った新しい感動をまた音楽にして届ける。こうして彼らはきっと「誰も聞いたことのない、至上の音楽」へ辿り着いてくれるはずだ、とわたしは信じてやみません。
もちろん音楽に長けた2人ですが、「音楽しかない」なんてことはない、これから音楽だけじゃなく、たくさんの大切なものを見つけていくことだってできると思うんです。

まだまだ若輩の新人プロデューサーではありますが、いつか2人が目指す至上の音楽へ辿り着くその日まで、一緒に歩んでいきたいなと、そんなことまで考えさせてくれたソロでした。

グリーティングツアー北海道が本当に本当に楽しみと同時に恐ろしいですが、このあたりで筆を置くことにします。

 

次回、今度こそX Liedの話を、書きたい、と、思って、い、ます。

それではまた、ちゃお。

「音楽」と「世界」

ごきげんよう、こんばんは。
本当に書きたいことを書きたいときに書くスタイルが確立しつつある(物は言いよう)。

 

さて、今回筆をとったのは他でもない、担当のソロ曲の試聴について思ったことを覚え書きするためです。Twitterで発散したのだけど、流れてしまうのが少しさみしいなと思い、そういえばそんなときのためにここのブログ作ったっけ、って思い出した。

今回お話する「担当」とは、SideMの担当のことである。
315プロダクションに入社し、現在わたしはWとAltessimoの担当Pをさせていただいています。まだまだ新人へっぽこPながら、先日の浅草絢爛歌謡祭では無事上位入賞を果たし、念願の名前入りプロデュース実績称号をゲットしたぱかP。めちゃめちゃ嬉しかった。なんだかんだ都築さんとのご縁が一番多く恵まれたのもあって、担当の中でも思い入れが一番強いのが都築さんだったんです。これでやっと都築さんの担当Pだって胸を張って言えるな、と思った。

そしてセカンドライブ。縁あって1日目は現地に行くことが出来たのだけど、もう本当に、あの時あの場所で、Altessimoの初めての大舞台をこの目で見られたことは本当に幸せなことだったと思う。もちろんLVの2日目も315で、Wはすごくキラキラしてた。担当の2ユニットに限らず、315プロのみんなはすごく輝いていて、間違いなくわたしの人生で最も315な二日間だった。一週間以上経ってやっと少しずつ落ち着いてきたのだけど。まだ落ち着いてない時、彼らのさらなる活躍に思いを馳せている時(14日)に事件は起きた。

いやソロ試聴今来るか。今か。そうか北斗くんの誕生日か。

 

いやほんとに。セカライの余韻の中では破壊力マシマシすぎた。
セカライ前に来なかったのは「セカライでは歌わないよ宣言」であると同時に運営様のお慈悲であったに違いない。間違いなくこれセカライ前に来てたら生きて幕張から帰れなかった自信がある(?)。

 

というわけで本題。試聴を聞いて感じた徒然なること。

まず最初のチューニングのような音。そこまではよかった。そこから。
こんなに速い曲だとは思わなかった。今までずっと都築さんってまったりしたイメージがあったから、つい曲もゆったりしたテンポの曲だとばかり思っていて、まさかEchoes My Noteより速いこんな疾走感溢れる曲が来るとは本当に思っていなくて、まずめちゃくちゃびっくりした。中の人である土岐さんも仰っていたけれど、まさに「そう来たか~~~!!!」って感じ。
彼にとって世界はこんなにもドラマチックに見えていて聴こえていて、そのことを「音楽」を通して感じられたこと・気づけたことがすごく嬉しい。それってすごいことじゃない…?言ってしまえば彼らは二次元の住人で、直接会ったりはできない存在だ。作品世界のなかで、その作品の言葉を通して人となりが語られて、形作られていく。それが普通だと思っていたし、多分普通の作品なんだろうと思う。でも彼らはアイドルだから、歌をステージを通してこちらの世界に語りかけることができる。

彼にとっての世界をこうして音を通して感じられることに「都築圭はアイドルで表現者なんだ」と改めて痛感させられた。アイドルマスターってすごい。声優さんってすごい。

 

サビまではどこか哀愁漂うメロディが続く。音楽的にいうなら短調ってやつなんだろうな(ヤマハ音楽教室で学んだ知識はどこへ弾け飛んでしまったんだろう)。

これまたセカライ後に聞いたのが効いた(ギャグではない)のかもしれない、どちらかというと麗さんを見守る方にいることが多かったように思う都築さんだけれど、彼もまたすごく苦しんでいたわけだ。セカライでの「Opus」は本当に見ているこちらまで涙が止まらなくなるくらい苦しかった。そんな彼の苦しみが伝わってくるAメロ、Bメロ。

 

そしてサビ。浅草で明らかになったお父様や「(麗さんの言葉を借りると)親友」、そして「伝説の歌姫」との別れ。
自らの求める「音楽」を失ってしまった彼が「見つけた世界」。
それはきっとアイドルとして生きる道であり、315プロダクションで出会ったたくさんの人たちとの日々、そして神楽麗・Altessimoのことなんだろうなぁと。
それこそ今までの世界がReverse(Rebirthかもしれない)するほどの強烈な出会い…(ここで「Opus」最後の2人を思い返して泣き崩れるぱかP)

 

「日々湧き上がる音の泉を、僕はあといくつこの世界に留められるのかな。」

 テンポに関してに少し戻るけども、聞いていてこのフレーズを思い出した。まず彼の中にまた「留めたい」と思えるほどの音の泉が湧き上がってくるようになったということ、そしてそれをどれだけ留められるだろうという彼の不安と期待が曲の疾走感にも表れているように思う。

 

正直な話。麗さんのオリピがあってから、少し不安だった。「Opus」では「一人じゃ未完成な音楽」だった2人だけれど、麗さんは「My Note」をしっかりひとりでも奏でられるようになっていて。でもじゃあ都築さんはどうなんだろう、ってすごくすごく不安だったんです。仙台で麗さんが「都築さんは一緒じゃないのか…さ、寂しくなどない!」って言ってくれることにどこか安心していたし、「やっぱり2人のAltessimoが好きだから」って言い訳して逃げていたのだけれど、すごく失礼な話だった。都築圭はとっくに、神楽麗と出会ったときに新しい世界を見つけていたんだね。

もちろん出会った時点ではまだ未完成ではあったんだろうけど、でもそこから彼の、彼らの「音楽」はまた鳴り始めた。そして今回のオリピでそれぞれがまた「自分の音楽」を取り戻して、奏でられるようになった。もう彼らはひとりでも立派なアイドルで表現者だ。でも2人でならもっと高みに行ける。これがAltessimoの形なんだ。そんなことにまで気づかせてもらえたソロだった。本当に都築さんにソロ曲をありがとうございます。世界に感謝したい。まぁまだハーフサイズなんだけどね。発売4月なんだけどね。待てない。

そんなことを言っている間に今週末には空くんと昂輝のソロが出てしまうし、明日からアスタリアイベだ。心と体力が果たしてもつのか…次回作にご期待ください。

 

多分恐らくフルが出たらまた何かしら言及するかもしれない…?前回から触れたかった具体と抽象の話はまた何かしらの機会に…とりあえず明日からのイベントの準備してきます、待ってろ悠介!ちゃお!